Pythagoreans

Genius. Pythagoreans. poets.

もしインテリジェンヌが好きだとしたら、きっと写真家になるべきだ

最近のぼくは絵を描くでもなく、音を奏でるでもなく、はたまた詩を詠うでもなく、写真を撮ることにした。その経緯は単に、「最も手軽に対象を捉えることができる方法だから」だと思う。「思う」というのは変な言い方かもしれないけど、今のぼくには「写真」と言われても、ただ対象を切り取るだけの道具としか考えていないのだから、仕方がない。それでもなんとなく写真の魅力に惹かれて、手に持っているiphoneのカメラで気になったところをパシャパシャ撮り始めた。

 

天才アラーキーに学ぶ、道具としての写真の使い方:

 

ただ単に写真を撮っていても、なんだか味気ない、つまりインパクトに欠ける「ぼやぼやした写真」しか撮れないことに気がつく。そこで写真といえば、荒木経惟さんの名前を聞いたことがあったので、彼のインタビュー本を読んでみることにした。ただいきなり彼の写真を覗くことは、度肝を抜かれたと言えばいいのだろうか。目の前にはエロスな、とても直視できないような光景が広がっている。ぼくは恐る恐る手で覆い隠した指の隙間から、その淫らな写真をまさにカメラのレンズ越しに対象をゆっくりと覗くように眺めていた。

アラーキーは最初に「あなたの写真はとにかく枚数が多いですね。中には載せる必要のない写真もあるのでは?」と質問されていた。確かに対象が人物なだけに、写真集に載せる必要もないような写真がたくさんある気がする。撮ったもの全部載せているんじゃないかという気すらある。すると彼はその時のことをパッと思い出したようで、早々と質問に対して話し始めた。

「撮りたいものを撮っていると、途中でやっぱり高揚していくというか、ぽんぽんぽんぽんってファインダーの中に入っちゃう気分になる。ずーっと見続けたりしていると、トリップしている感覚になる。だから枚数がどうしても多くなる、一点を選べっていうんじゃなくて、この一冊全体になるんだよ」

この時点でぼくは、アラーキーの溢れだす言葉の数々に、異次元感覚を抱き始めていた。それは目の前が突然歪曲し始める、天才と呼ばれた人たちの持つ「異次元歪曲フィールド」のことだ。写真を撮っていると、トリップしていくなんて聞いたことがない、それはつまり、エロスな写真を撮り続けていると、そういう感覚が現れてくるのだろうか。

 

写真は覗くもの:

 

アラーキーは自分の写真の原点は「覗きから始まった」という。

「中でもすごい危ないババアがいて、覗きをさせてくれたの。客とやってるところを安く見えるっていう覗き穴があるんだよ。それがオレのカメラオブスキュラの始まりだねぇ。わざと見せて反応見て喜んでるんだよ。冗談じゃないよ」

どうやら、そもそも写真とは「覗く」という行動があって、その秘密の光景を切り取っているということらしい。ぼくはこうした経緯を聞いて、岡本太郎の言葉も同時に思い出していた。

「写真というのは偶然を偶然で捉えて必然化することだ」

写真の根本を感じたような気がした。

 

インテリジェンヌが好きだった、天才アラーキー

 

「写真家は境界線だからね。こっち側とあっち側の、彼岸と此岸の。写真家は川ですよ。三途の川かもしれないね」

アラーキーは写真家のことを「境界線に立つ人たち」と称した。自分はどちらにも干渉しない、間を取り持つ人間なんだ。それには彼がインテリジェンヌ好きだったということが関係しているようだ。アラーキーは「さっちん」という写真を撮っている時に、あるガキ大将を主人公にした。彼はカメラを向けると、それに気づいたのか、急にカッコつけ始めた。そしてその視線の先には、清楚で目のはっきりしているお姉さんがいる。どうやらカメラに映っている、かっこいい自分を見せたいようだ。しかし、彼はお姉さんとは視線を合わせるだけで、自分から話しかけようとはしなかった。二人の間には何か壁のようなものが存在しているような気さへする。その代わりに、彼に好意を寄せている女性がいた。その女性は誰とでも積極的に話しかける、明るい典型的なB型女性だった。

アラーキーはこの光景を目にして、とても面白い構図だなぁと感心していた。何故ならアラーキー自身も清楚なお姉さんに好意を寄せていた思秋期時代があり、そういう時に限って、別の天真爛漫な明るい女性が寄ってくるという経験があったからだ。こうした三角関係は、とても写真家の姿に似ているという。まず自分がいて、その視線の先には好意を寄せているインテリジェンヌがいる。そして、その後ろには明るく子供のような笑顔を見せる女性がいる。まさに境界線に立つ人だ。インテリジェンヌ好きは、写真家の素養がある境遇に立っている。

 

写真に潜む、快感の種:

 

写真家として時代に名を残したアラーキーの言葉には、やはり一種の麻薬成分のような、LSDを体験した人たちに共通する「快感」というキーワードがよく登場する。

「確かにオレはなんでも物にしたがるとことはあるよね。物にすると、クッて、冷たくなる。それが一種快感っていうかさ。物にするっていうのは死ぬってこと、殺すことでしょ。そうなるとすごい快感だっていうことはあるね」

彼にとって「写真を撮ること」は、ある人がお酒に溺れたり、タバコを吸ったり、麻薬でトリップするような快感を伴っていた。写真をおさめることは生きることと同じ意味を持っているという。

「普通はきれいきたないで撮るよ。でも、もっと写真は、何つうんだろうね。写真はだから、生であり死でありっていうところなんだよ。たぶんそれが人生なんですよ。そういうような言い方しかできないんだ。言葉を超えて、有無を言わさずくるもんなんだよね。超えちゃうっていうか、その先を促すっていうか。だから、答を見つけるには、やっぱり撮るしかないよね。もうともかくがんがん撮る」

そのままぼくは、アラーキーの言葉の数々を思い浮かべながら、写真を何枚か撮っていた。ふと誰かが目の前を横切る。ぼくは突如現れた被写体に慌ててボタンを押してしまい、カメラの連写機能を起動させていた。パシャパシャ連続でシャッター音が鳴り響く。ぼくはすぐにボタンから手を離した。いきなり、シャッター音がなって驚く人たち。そこでぼくは一種のトリップを体験していた。まともに動いてもいないのに、バクバクと鼓動する心臓。耳の奥でリズミカルにパシャパシャ音が聞こえてきて、だんだんと意識が遠のいていく。カメラに酔う、まさにそんな感覚。ハッと目がさめると、耳たぶは赤く染まり、汗ダラダラの自分に気がつく。自分自身が物になる感覚。意思のない対象としての素材となり、被写体として殺される感覚。ぼくは写真に潜む「快感」を自分の身で感じていた。

 

天才アラーキー 写真ノ方法 (集英社新書)

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