Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

正義が勝つのは当たり前です。勇者は正義の味方だからです。

 最近朝目覚めると、とても気持ちが良くて、毎日のように日向ぼっこをして朝を過ごしています。それだけで幸せを感じられるのは、感覚が浅いからでしょうか。それとも、感覚が深いからでしょうか。そんなことばかり考えていて、「まぁいーか」と結局思いながら、その日を過ごしています。そんな私の夢は、鬱蒼とした森の中で一人焚き火をくべながら、1日を過ごすことです......
 
 
 ではタイトルに入ります。  ドラゴンクエストでは勇者が魔王を滅ぼし、ドラゴンボールでは孫悟空フリーザーを倒し、スーパーマリオではマリオがクッパを倒す。どんな時でも物語があれば、そこでは必ず正義が勝つことになっています。
 
 
 だいたいの読者は、そんなことはわかっていても、その物語に惹かれて

 

最後まで読んで、感動しているのですが……「どうせ主人公が勝つんだから、焦る心配はないよ」とか「こんだけやられていても、またやられずに修行して逆転するんだろう」とか、もうすでに私たちの頭のなかでは、必ず主人公が勝つということがわかっています。
 
 
しかし、「どうしていつも勇者が勝ってしまうのか」そんなことを考えたことがある人は以外にも少ないような気がします。なので、わたしはそれを「現実世界に当てはめて考えてみよう」とふと思ったのです。
 
  
まず、勇者と魔王の違いはなんでしょうか。勇者は世界を救う存在です。対して、魔王は世界を滅亡させる存在です。ではどうして勇者は魔王を倒すのか。それはお姫様が魔王に攫われたので、救い出すためにです。お姫様には大抵、世界を平和にする力をその身に宿しているので、その力を魔王に見つけられてしまったから、攫われてしまうわけです。
 
 
 やがて、勇者は魔王の元へと再度現れ、魔王と対決します。そして勝つのは必ず正義の象徴である勇者です。では、どうして勇者は勝ち、魔王は負けてしまうのか。それは、勇者にはお姫様と仲間たちがいたことが大きな勝因になるわけです。対する魔王はいつも一人でした。仲間と言えるのは、力で支配した手下たちだけでした。周りには誰もいなかったのです。
 
 
 勇者と魔王は死闘を繰り広げます。どちらも意識を失うような激しい戦いが続きます。そんな時に何を考えるのでしょうか。勇者は栄光を掴むために戦っているのでしょうか。それはきっと違います。勇者が果たそうとしていることは、責任感、いや使命感とも言えるでしょう。多くの仲間たちやお姫様、世界中の人が彼を後ろから押しているのです。
 
 
 対する魔王はただ絶望した世界のために戦います。しかし、彼の後ろには誰もいません。彼が立ち続けるのは、ひとえに自分のためなのです。そんな中、この現実世界に残れるのはどちらでしょうか。
 
 

 一人でモノを考えて、行き着く先は常に「死」です。どんな生き物でもやがては死を迎えます。死を見つめる時に人は、ある夢を見ます。今までに生きてきた中で記憶に残っていること、走馬灯です。そこで多くの出会いを認識します。勇者にとって、お姫様であり、仲間たちであり、魔王です。対する魔王が認識することは、憎しむべき世界であり、自分自身です。

 

  認識することをマザーテレサは「愛」だと言いました。そしてその対となる言葉は「無視」だと言いました。愛はすべての力の源となるものです。愛がなければやがてどんな生き物も存在しなくなるでしょう。愛がなければ人は動きません。魔王のように自分に対する愛というものも確かに大きなものです。

 
 
 しかし、勇者のような愛は多くの認識から生まれ、その認識が多ければ多いほど、彼らを動かし続けます。結果、死闘の果てに意識(モチベーション)を保っていられたのは、勇者だったわけです。自分だけを愛し、その欲望をどんな手段を持ってしても成し遂げる力は絶大であり、急速でもあります。しかし、ほんとうに問題を解決しようと対峙した時、その力は脆く崩れ去っていくでしょう。
 
 
 天才と言われる人たちは、マザーテレサの言う「愛」を知っていました。ダンテの「神曲」にはこんな言葉があります。”智は愛。愛は光。光はすべて。ありうることを。なしうることを。もとめることを。あなたとともに。私は愛。私は光。”  私は愛である。愛とは私が認識してきたものである。それが私という存在である。あらゆる地獄を通り抜けて達した答えは存在の証明であり、愛だったのです。そして生き残れた理由も同じく愛だったわけです。
 
 
 天才において重要なワードは「愛」と「死」です。そのワードにそって、今後も漫画や映画から紹介したいと思います。適当に一時間ぐらいで書いたものなので、あまり意識しないでください。あなたにとっての愛は光であって、その光は角度が変わることによって、虹色のように無限に変化するからです。