Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

死に近づいてみて、はじめて見えるもの

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前回は、エジソンの言葉を引用して、天才の定義について話しました。そして、天才と呼ばれている人たちは、一歩を踏み出せる人、であることを説明しました。それではどうすれば、その一歩が踏み出せるのだろうか。それは、ザツネンを取り払うことです。

 

//死ぬということ

 

気を重くさせてゴメンナサイ。でもやっぱりこれが、ダイジなんですよね。けれど、思い出してみてください。僕は言いました。大きな問題ほど、実は簡単な問題なんだと。

 

雑念を、振りほどくことなんて、ホントーーーに簡単なんですから。

 

それはもう、ドアの開け閉めぐらい簡単です。それでは、ザツネンを振りほどく方法を、言いたいと思います。その「方法」とは……

 

死ぬこと。

 

以上です。それではみなさん。今から僕は、クビを吊って死にます。こんな、上司の機嫌ばかり気にして、そのために借金をして、借金取りに脅される毎日にはもうウンザリです。ボクは、夢の世界に旅立ちます。また来世であいましょう。サヨウナラ。

 

ガッチャン。ツーツーツー。

 

 

//死の発見

 

 

みなさん、こんにちは。今、何を考えたでしょうか。今のはもちろん、夢落ちです。この状態で、聞きたいことがあります。みなさんは、こんな話を聞いたことがあると思います。

 

自殺しようとして、首を吊る瞬間。屋上から落ちる瞬間。腕を切る瞬間。一瞬で自分の一生を見てしまう。そう、走馬灯のことです。この話は、何人か自殺しようとした人に聞いたのですが、本当のようです。

 

もしかしたら、経験したことがある人がいるかもしれません。一瞬で、一生の記憶を思い出し、涙を流し、立ち止まる。ナゼだろう?それは、

 

愛に気づいたからです。

 

「自分」を愛する人、動物、物、自然の愛に。

 

それでは、愛とはなんでしょうか。それは、自分とつながっているすべての存在です。好きな人、嫌いな人、音楽、パソコン、本、星、数字、地球、言葉、声、食べ物。

 

無駄なコトなんて、1つもないんです。全てのコトが、私を作っています。アインシュタインだって、ビートルズだって、ジョブズだって、同じです。彼らは、一歩早く踏み出した分、僕たちより、多くのものに出会っている。ただ、それだけなんです。

 

天才は、人一倍愛に溢れている。そして、その愛を分け与えているんです。

 

 

//愛の使命

 

 

今僕たちは、愛を認識しました。ザツネン振りほどくまで、あともう一歩です。あと一歩で、あなたは愛に溢れた天才の一人です。そして、その残り一歩とは…

 

死に近づくことです。

 

死にはしません。もちろん。ではもう一度聞きます。死に近づくことで、何を見るのか。それは愛です。私を作る全ての存在の認識。だけどやっぱり、全てでは無いんです。気づいているとは思うけど、この一瞬の、走馬灯で見るモノは、自分が好きだった、モノだけなんです。

 

死ぬ前に、何がしたいって聞かれたら、間違いなく、自分がしたいことをするよね。いきなりだと、あーんなことや、こーんなことしか考えないと思うけど。これで話はつながります。

 

愛を認識することと、死に近づくこと。その関係とは、死に近づくことで、走馬灯のように記憶がよみがえり、自分の一生で、私を作ってきた愛を認識する。そして愛を認識したことで、私たちが生きる意味、愛の使命を持つことになります。

 

 

//愛の力

 

 

ここで、話が長くなってきたので、次回に切ります。次は、現実的な話になります。だけど何もつらくはないです。心の一歩を踏み出せ、とか。努力すればなんでもできる、とか。これほど現実的でなく、夢みたいな考えはないですよ。

 

 

僕たち、人類はホントーーーに、単純で、バカで、ずるい生き物なんですから。もっと、もっと、単純に、シンプルにしか生きられないんです。愛を信じましょう。僕たちはなんにもできない。けれど、愛が集まったとき、人はなんでもできるんです。