Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

イエスキリストで見る天才論「新約聖書」

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聖書とはこの世界で最も発刊部数が多いのに、最後まで読んだ人は世界で1%にも満たない本のことです。第2位はドン・キホーテです。僕も原典を読んだわけでも、岩波書店の聖書を読んでもいません。読んだのは現代風にわかりやすくまとめてくれた本だけです。

 

キリスト教の人たちでさへも、1から最後まで読んだ人はほとんどいないのに、なんで教徒の人たちが、みんな神を崇めるのかが、僕には全くわかりません。すこし読んでみれば、聖書に登場する神さまが、どれだけ自分勝手なのかがわかります。

 

でも僕は聖書が好きです。確かに人はこんな一冊の本で戦争を起こしたり、祈るだけで何もしなくなるけれど、本当はとてもいい本なんです。なんせ4000年以上前に書かれた、そして最も話の長い小説だからです。ここで一つ聞きたいことがあります。

 

なぜ人は本を書くのでしょうか?一つは記録を残すためです。これはわかると思います。承認欲求から人は何かを後世に名を残したいんです。でも本当にこれだけでしょうか。

 

実はもう一つ理由があるんです。それは答えを探すためにです。本や絵を書いたりしている人はわかると思う。僕たちがこうして文章を書くのは伝えたいことがあるのはもちろん、世の中の疑問を文章や絵として起こすと、その答えが書いているうちに浮かび上がってくるんです。

 

そうしたものが特に名作だと言われるものが多いです。みんなが知りたかったけど、形にできないものだから、多くの人に共感されるんです。だとすると聖書は何を探すために書いたのでしょうか。

 

それは神を探すためです。神とは何なのか、それを見つけるために、昔のひとは書き続けたのです。そしてそれは新約聖書で見つかります。イエス・キリストは神の子です。では神とは何なのか。神は実際のところ僕たち人間の1人1人のことなんか、気にかけてもいません。

 

そして神とはとても僕たちに似ていて理不尽な存在だと気づきます。神も軽視されれば罰を与えるし、恋もします。ここまで言えばわかるでしょう。神はものすごく僕たち人間に似ているんです。というより人間そのものです。

 

こ こでひとつ物語を話したいと思います。みなさんは神さまに会うために何をしますか。まず思い浮かぶことは修行や祈りだと思います。ではそれを1年間続けて みよう。あなたは神さまに会えましたか。ではもう3年間続けてみよう。今度こそ神さまに会えましたか。残念ながらまず会えません、声も聞けません。

 

では修行や祈りを続けている間は、いつも何がありましたか……それは「あなた」です。自分以外には決して会えません。どんなに苦しい所にいたって、楽しい所にいたって、死に際でさへ、生まれた時でさへ、常に疑いもなく確実にそこにいるには自分だけです。

 

どんなことがあっても自分は絶対に離れません。そういう存在が僕たちが言う、神さまなんじゃないでしょうか。神は実態をもちません。なぜならそれは自分自身だからです。神は人間のように声をだしません。聞こえるのはいつも心の中です。なぜなら自分自身だからです。

 

神は自分なのでいつも助けてくれないし、誰かを裁いてもくれません。「神の裁きだ」なんて言って、自分で誰かを打ち殺す人はいるけどね。

 

この調子で聖書の文章を引用してみます。聖書でイエスが試練をする場面で、イエスは悪魔の囁きを全てはねのけます。ここでイエスが言う神を「自我」に置き換えてみてください。ここで悪魔が言う神は、「僕たちが考える創造主」のことです。悪魔とは自分の欲望です。

 

さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。

 

そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。

 

更 に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわた しに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」イエスはお答えになった。 「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」

 

そこで、悪魔はイエスをエルサレムに 連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使 たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」イエスは、「『あ なたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。

 

僕はこれですっきりしました。それなりに当てはまっているとは思うんですけど、みなさんはどうだったでしょうか。イエスキリストは神の子です。神さまとは自分の意思です。その神さまの力を操ることができたイエスは、愛を発見した天才だったのではないでしょうか