Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

この世界に感謝して生きるために、先住民の知恵を借りよう

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よく大地は母であるとか、太陽は父であるというけれど、その理由がネイティブインディアンの物語から判明したので、その意味を書き記そうと思います。
 

>土地に住むということ

 
古典古代から「母なる大地」「父なる太陽」という表現は使われていました。しかし、現代。その表現はあまりに壮大で具体的に理解することはできませんでした。ですが、それも当然なことなのです。なぜなら、ぼくたちは今、土地に住んでいないのですから。
 
土 地に住むということは、土地の生き物や食べ物、気候に感謝して生きるということです。現代のぼくたちは、どこから来たのかもわからないものを食べて、着 て、何か土地に感謝することもなく生きています。そんな生活をしていたのでは、母なる大地の意味がわからないのも当然のことなのです。
 

>母なる大地

 
ネ イティブインディアンは土地に感謝して生活していました。彼らは「母なる大地」を「父なる太陽」を敬って、日々を生活していました。彼らは山や川、森林や 核を人間の心臓や骨、乳房や内蔵として見ています。ふくよかな土壌は、母の「やわらかな肉体」として、その地面に生える生命を「きらびやかな衣装」として 見ていました。
 
このように、天から 降り注ぐ太陽の光や雨の水による受精を経て、さまざまな生物の誕生を促す大地が「母」という大いなる女性として見られたことは当然だったのかもしれませ ん。ぼくたちを産んだのは人間である母なのかも知れませんが、本当は母なる大地の産物なのです。だからこそ、ぼくたちはもう一度、大地を敬わなければなら ないと思うのです。
 

>父なる太陽

 
次にどうして太陽は父なのか?それは太陽がもたらすのは水と光であり、人間の精液にあたるものだからです。それに父は厳格な存在です。太陽の光を浴びつつければ、肌は焼けてしまいます。父の後ろ姿に誰もが憧れるのですが、実際にその手を直接に触れることは叶いません。
 
父は多くの場合、息子よりも先にこの世から姿を消してしまいます。死んだ父の後を追うことは二度とできません。息子たちにとって、父は大いなる存在になり、決して手の届くことのない太陽となるのです。
 

>理解した上で敬うには

 
天才になるためには、やはり大地に感謝しなければなりません。なぜなら、感謝し讃えるという行為は世界と完全に調和するための唯一の方法だからです。感謝して初めて生と死を実感できます。そうして命ははかないものなんだと思えるわけです。「命ははかない」というその原動力が天才を動かすのです。
 
ネイティブインディアンの言葉に好きなお話があります。
 

「命とは何か。それは、夜にまたたくホタルのきらめき。凍てつく冬の空気にバッファローの吐く白い息。草原を走り回り、日没とともに消えてしまう小さな影」ショーニー族

 

「朝起きたら、太陽の光とおまえの命と、おまえの力とに、感謝することだ。どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、それは、おまえ自身の中に、罪のとぐろが巻いている証拠だ」ブラックフット族

 

続けて天才たちによる感謝に関する言葉です。
 

「大きな恩恵は感謝を生み出さない」ニーチェ

 

「感謝の心は最大の美徳のみならず、あらゆるほかの美徳の両親なり」キケロ

 

「感謝は高潔な魂の証である」イソップ

 

ぼくは天才であるために、彼らの言葉に感謝します。何かに感謝し讃えたたとき、じぶんの魂は高潔なものへと変わるのです。それだけで意識が変わってくるような気がしないでしょうか?
 

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