Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

好きな子にちょっかいを出すようないたずらは、天才になるための大切な素質だった

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友人を驚かせようと、ダヴィンチは自分で小さなドラゴンをこしらえた。いかにもそぐわない翼を小さなトカゲにとりつけて、それをポケットから取り出して飼っているのだと言っては友人を驚かせて楽しんだという。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52183513.html

 

多くの天才たちは人々を驚かせるために、色んないたずらをしていたらしい。なぜいちいち、相手を驚かせるようなまねをするのか。それは相手の反応を見るために違いない。

 

いたずらをすることで、相手は否が応でも自分のことを意識せざるを得なくなる。まるで少年が好きな女の子に対してちょっかいを出すような感覚です。天才というのは自分についての意識が人一倍強いぶん、他人がどう反応するかを確かめることで、自分の存在を確かめているというワケです。ようは「子どもだ」ということです。

 

このように天才は「大人な子ども」であるわけですが、いたずらというのは子どものころ、それも幼少期であれば誰もがしている体験です。例えば、赤ちゃんは一人では生きていくことはできません。トイレへ行くためには、誰か別の人の注意を引く必要があります。その際に赤ちゃんは、可愛らしい行動やいきなり泣き出すことで、自分の存在を知らしめます。そうしてトイレにいきたいことをどうにかして伝えることで、無事生きていくことができるのです。

 

赤ちゃんは誰もが泣きながら生まれてきます。なぜ泣いているのか。それは自分が泣くことで、誰かが助けてくれるという経験をするためなのではないでしょうか?つまり人間は、「自分と他人という意識をはじめから持つように、プログラミングされている」と言うことができます。そして他人に認識されることが自分にとって、とても気持ちのいい結果につながるのだということを一番に覚えることができるのです。

 

人間は未知の世界を生き抜くために仮説と実験を繰り返します。そして未知の部分が明らかになることで、それと同時に自分のアイデンティティを認識することができます。それは自分が現実に生きているという証拠になり、何よりも味わい深い幸福感を感じることができます。「いたずら」というのは人間が自分という存在を知るために行う、仮説と実験の基礎の基礎なのです。