神灵附体

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天才たちが発言にユーモアを含ませる理由ービル・ゲイツの発言からわかることー

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現代の憲法の複雑さを描いた風刺画

 

 

天才はしばしばユーモアを含ませながら何かしら発言をする。大手Q&Aサイトredditビル・ゲイツは三度目の登場をした。ゲイツredditでこんな発言をしている。

 

Q04

今年のクリスマスにサンタからもらったプレゼントは何ですか?

A04

素晴らしいプレゼントを3つもらったよ。Redditのキャラクターが入ったキルトメープルシロップを入れるきれいな小びん、そして書籍「The Promise of a Pencil」の3つ。どれも素晴らしいね。去年はずっと待ってたんだけど、何も届かなかった。

http://gigazine.net/news/20150129-ama-bill-gates/

 

ついつい笑ってしまう。なんせあのビル・ゲイツが去年のクリスマスにプレゼントをもらえなかったことを告白しているからだ。そもそもどうしてこんな質問をしようとしたのか意図がわからないけれど、ビル・ゲイツはそんな質問にもユーモア溢れる回答をしてくれた。

 

 

ただここで一つの疑問がぼくの頭をよぎった。どうしてビル・ゲイツは「去年はずっと待っていたんだけど、何も届かなかった」と告白したのだろうか?それはユーモアが人を楽しませ、その人個人を描き、印象に残すからだと思う。

 

 

ユーモアとはhumorと呼ばれていたが、日本にその言葉が浸透するころにはhumanと認識されるようになる。つまりユーモアとはその人自身の「人間らしさ」を伝えるということなのだ。

 

 

ということは、ユーモアを含めた発言のできる人は、その人らしさや自分自身を理解している人物だということができる。天才というのは自分自身を真に理解している人物といえるように、ユーモアは天才にとって必要不可欠、あって当然の能力なのだ。

 

 

ユーモアといえば、ジョブズアインシュタインも有名だ。そんな彼らの人間らしく、皮肉的で、アンチばりばりの発言を見てみることにしよう。

 

 

例えば、ビルゲイツはこんな発言もしている。

「卒業生のみなさん、回り道せずに卒業できるとはなんて素晴らしい。私は「ハーバードでもっとも成功したドロップアウト」と呼ばれてて、それはそれで嬉しいんですけどね。だからこそ、今日ここで特別な卒業生総代としてお話しできるんでしょうし……落ちこぼれ組の中では一番うまくやったでしょう?」

 

 

スティーブ・ジョブズ

「アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。皆さんも大好きなことを見つけてください」

 

 

アルベルト・アインシュタイン

「記者:相対性理論の内容を一口で説明するとどうなりますか。

アインシュタイン:もし、あなたが、私の返事を、あまりくそまじめに考えないで、冗談半分できいてくださるなら、私は次のように答えることができます。今までの理論では、もし宇宙から、すべての物質が消え失せてしまったとしても、なお時間と空間は残っているとされていましたが、相対性理論によれば、もし宇宙から、すべての物質が消え去ってしまえば、時間と空間もそれと一緒に消え去ってしまうのです。

記者:相対性理論を本当に理解することができる人は、世界中に十数人しかいないということですが、それはほんとうですか(注:アインシュタインは、一般相対性理論の最後の原稿を出版社に渡したときに『これを理解できる人物は世界中に12人より多くない』といったとか、いわなかったとか)。

アインシュタイン:相対性理論の説明をきいた物理学者はだれでもそれを理解するでしょう。現に私が相対性理論を講義したベルリン大学の学生は、みんなそれを、よく理解してました。

記者:一般大衆には、とうてい理解できないような高度の物理学の理論に対して、一般大衆が、かくも熱狂的になるのはなぜでしょう。

アインシュタイン:それは精神病理学の問題でしょう。

これらの質問がようやく終わったところで、

アインシュタイン:私に対する試験は、これで合格にしていただきたいと思います」

 

 

こんなにも人間性溢れる発言があるだろうか?ユーモアな発言は時として、面白いこともあり、深いこともあり、皮肉的でもある。それがその人自身を投影しているわけだし、そんな感情を抱くのは当然のことなのだ。

 

 

ビル・ゲイツはすごく謙虚な人間であることが伺えるし、スティーブ・ジョブズはその発言だけでカリスマ性が見られる。アルベルト・アインシュタインに限ってはあまりに皮肉的だ。彼の発言にはドキッとさせられる発言がいくつも残されている。

 

 

ここで一つの共通点が浮かび上がった。天才たちのユーモアにはある一つの共通点が隠されていたのだ。それは「社会へのアンチ、挑戦」だ。

 

 

ビル・ゲイツは大学生に向かって、「中退するほど、大学について考えたことがあるのか」といっているし、スティーブ・ジョブズは夢の見つからない人たちへ、「探し続けることを諦めるな、たいして探してもいないくせに」といった。アルベルト・アインシュタインは自身の理論にたいして「私の理論がオカシイといって、自分たちが賢いヤツだと言いたいんだろう?」と皮肉を込めている。

 

 

彼らは常に社会にたいしてアンチであり続けた。それは本気で社会をよくしたいと願っていたからだ。アンチであることは批判することだと考えられているが、そうではない。アンチであるということは、束縛された社会への挑戦なのだ。生きるということに対する己自身への挑戦だ。アンチは嫌われるけれど、自分を出しているからこそ嫌われる。しかし、自分をださないで安全な道へ進もうする人は嫌われないが、人から注目されることもない。それでは誰からも愛されることはないし、頼られることもない。

 

 

ぼくもこれからは社会のために、なによりも自分自身のために日本という社会にたいしてアンチであり続けたいと思う。日本はとくに閉鎖的で集団であることを好んでいる。だったら逆に個人が活躍し、孤独を望み、闘争を願う。これこそが日本という社会へのアンチであり、挑戦ではないかと思っている。