Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

紀元前から現在に至るまでの天才たちを見てきて気づいた、天才であるための三大要素

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ぼくは2013年10月から現在まで、天才について研究してきた(実はもっと幼いころから研究していたのかもしれない)。天才たちの生活や心理、身の回りの環境や人生での様々な体験。これらの共通点を個人のできる範囲で探り、形にしてきて気づいたことが3つあります。

 

 

まずそのためには天才とは何者なのか、定義しなければなりませんが、これらの答えはすでに明らかになっています。ぼくは彼らのことを「愛すべき使命を見つけた生き物である」と定義しました。そしてこの定義には3つの要素に分解することができます。それが天才たる所以にもつながります。

 

 

「愛すべき使命を見つけた生き物である」という定義に隠されているテーマとは、

愛するということ(愛すべき)

使命を果たすということ(使命を)

絶望するということ(見つけた)

これら3つの要素からなります。順に説明していくとしましょう。

 

 

①愛するということ

まずは「愛するということ」について話したいと思います。ぼくは「あなたにとって愛とは何ですか」と聞いた時、多くの人は「異性を愛することです」といいます。それは間違いではなく、素晴らしい回答だと思います。多くの戯曲や小説にもあるように、男性と女性が愛するというロマンチックな物語は誰の目にもとまります。ですがその焦点を「天才」に当てはめた時、愛の形はもっと広く深いものへと変化していきます。

 

 

まずは天才たちが愛について何と発言しているのか探っていきましょう。一人目は愛の伝達者である「マザーテレサ」です。彼女は「愛とは何ですか」という質問に対して、「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」と発言しています。

 

 

どういうことなのか。それは「愛とは異性を愛するという他に、何かに対して関心をもつこと」だと言っているのです。それもそのはず、「何かを愛する」にはそれ自体に対して関心をもたなければ、そんな感情は決して湧き上がりません。異性を愛するのは、その人に対して異常な関心があるからです。それ以外のことはまるで虫けらのように考えています。それはつまり無関心であるということです。

 

 

神曲を描いたイタリアの詩人「ダンテ・アリギエーリ」も愛について言及しています。それは神曲の最後にあらわれています。「わたしは愛。わたしは光。光はすべて」彼は地獄と天国を渡り、こう考えつきます。「わたしは愛によってつくられ、光(関心あること)からつくられ、それがわたしの全てなのだ」光は「自分にとって関心あることのみを写しだしている象徴」だと考えられます。つまり関心をもつことが天才をつくり出すのです。

 

 

ぼくたちが天才であるためには、あらゆることに対して関心を抱かなければなりません。そしてそれがあなたの使命を見つけ出す役割を果たしてくれるスポットライトになるのです。

 

 

最近みつけたのですが、世界で最も影響力のあるアーティスト一位に選ばれた歌手のレディ・ガガも光についての質問に答えていました。「あなたに影があるのなら、光があたっている証拠よ」

 

 

②使命を果たすということ

次に「使命を果たすということ」について話したいと思います。先ほど愛するということは関心をもつことであり、それは光というスポットライトを浴びることだと言いました。天才たちはこのように自分には神さまから授けられた使命があり、それを果たそうと日々を全うしています。

 

 

何のために人間は生まれてきたのか?という質問は意味をなしません。なぜなら「生きることに目的がある」ということはまずありえないからです。もし生きることに意味があるのなら、今すぐそこでアリを踏みつぶした時に、世界は一変するはずです。すぐにでも車線上に出て、車に轢かれて死んだのなら、世界は変わるでしょうか。

 

 

おわかりだと思いますが、生きることには意味がないのです。それでも天才たちは自分の使命感からか、その使命を果たそうとします。それではなぜそこまでして彼らは使命を果たそうとするのでしょうか?

 

 

それは言ってしまえば快感(エクスタシー)を感じるためです。なぜ使命を果たすことが快感につながるのだと思いますか?人間には知りたいという欲求が渦巻いています。これを自己承認欲求と呼ぶのですが、未知のものを認識した時に、人間は快感を感じるようにできているのです。だれだって愛する異性から自分を求められた時、興奮し快感を感じるでしょう。それと同じ理屈です。自分の使命を果たすということは快感を感じるためなのです。

 

 

モーツァルトは才能についてある発言をしています。「高尚な知性や想像力、あるいはその両方があっても天才の形成に至りはしない。愛、愛、愛。それこそが、天才の神髄である」彼は音楽だけでなく女性好きとしても有名でした。しかし彼の音楽を作る思考の根底には「音楽とは耳を満足させなければならない」と言っています。他にも女性好きの天才は数多く存在します。

 

 

岡本太郎もそうです。「自分の中に毒を持て」というエッセイの中で、何十人もの女性を愛したと発言しています。「自分には何か充ち足りていない。欠落した部分がある。それを求める渇望はうずいているんだけれど、それが何によって充たされるのか。ひたと向い合って一体になれる相手は誰なのか。これが愛の問題の根底だと思う。だから人は自分にないもの、むしろ反対のものに惹かれるんだ」異性と一体になるということは、ごく自然なことでとても気持ちのいいものなんだと彼は言いました。自分の存在を証明すべく、女性を愛し欠落した何か見つけ出したのです。

 

 

天才たちは使命を果たすことで快感を感じられるため、あそこまでの行動力があり、一般に努力をすることができるのです。ですが彼らにとって努力とは辛いものでは決してありません。それはとても気持ちのいいことなのです。それが多くの人の共感を集めて、彼らをあそこまで有名にしたのです。天才とは一種の称号と捉えることができます。称号を得るためには、それだけ多くの人の役に立ち、認められなければありえないのです。

 

 

③絶望するということ

最後に絶望するということについて話したいと思います。人が何かを発見し、それを使命として果たそうとするためにはそれだけのきっかけがなくてはなりません。何か一つのことに対して行動をし続けるためには、それ相応の勇気と覚悟が必要だからです。

 

 

それではどのようにして彼らはそれだけの信念を得るためのきっかけをつくり出したのでしょうか?天才たちには必ず深い闇を過ごすような体験があります。それは世界に対して絶望を感じるような体験です。これらの圧倒的な体験こそが彼らに絶対的な信念を与えるに至ったのです。

 

 

「海と老人」の作家である「アーネスト・ヘミングウェイ」は絶望することについてこう発言しています。「人間の価値は、絶望的な敗北に直面して、いかに振る舞うかにかかっている」よく本当に辛い場面で人の本性が現れると言いますが、彼もそのことを直に感じていました。死にそうな時に、自分のために戦うか、それとも自分を必要としてくれる人のために戦うか。天才であるために必要な回答は、騎士道のようなものであり、自分を愛してくれるお姫様のために扱われるべきなのです。

 

 

もう一人紹介しましょう。「青い鳥」を描いた劇作家「モーリス・メーテルリンク」は悲劇的な世界の中でこう語りました。「逆境っていうのは、魂を目覚めさててくれるものなんだ」逆境とは死に際であり、追い込まれ逃げ場のないところです。そんなところで人は何を考えるでしょうか。明日のことを呑気に考えている暇はありません。今この一瞬一瞬を見なければ死んでしまいます。そうした場でこそ、人は本当にしたいことを発見できるのであり、使命を果たすことができるのです。

 

 

天才であるために必要なことって

ここまで呼んでくれた人は、ぼくが天才の定義を「愛すべき使命を発見した生き物である」という理由がわかってもらえたと思います。人は絶望に直面し、強烈な光に身を潜め、それを受け入れた時に、使命を発見し天才として生きることができます。

 


天才になるためにも必ずきっかけがあります。それはこの世界に対して絶望することです。そのためには多くの体験が必要です。貪欲に謙虚に生きなければなりません。もしあなたが天才でありたいと願うのなら、まずは自分の声を聞いてみることをおすすめします。瞑想をしてもいいですし、文章として書いてみるのもいいと思います。一番は愛する女性を見つけることです。

 

 

彼女にとって自分という存在は何者なのか。彼女のために何ができるのか。ひたすらに考えるのです、それこそノイローゼになるくらいに。そして絶望の内に湧いてくる怒りを無駄にしないことです。肉体的な快楽に身を任せてはいけません。それでは野獣と化してしまうからです。