Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

新たな言語とは革命そのものである

これから<天才>という生物に見られる、いくつかの現象を検証してみたいと思います。今回検証する現象は「天才は新たな言語をつくり出す傾向がある」という命題です。「新たな言語? 英語や日本語以外に新しい言語を作るっていうのかい? 笑いもんだ! 新しい言語をつくって、新しい国でも建てようと言うのか! 夢物語はそれぐらいにしときな! 」確かに、新しい言語そのものをつくり出す人もいますが(エスペラント語とか)、もちろん天才という個人においてそんな大きな話ではありません。

それでは<新たな言語>とは一体なんでしょうか。言語学者であるバフチンによれば、言語は英語やポルトガル語、日本語のような<地域に属する言語>が一般的な認識であるが、実はそれ以外にも<さまざまな言語>を見ることができると言います。ここで述べられている<さまざまな言語>とは、次のような言語のことを表しています。

さまざまな言語=ことばの多様性

  • 社会集団語
  • 職業的な隠語
  • 短命な流行語
  • 世代や年齢に固有の言語
  • 権威者の言語

以上の言語は世界的に見られる言語ではなく(生物学的に見られる人間特有の言語ではなく)、社会空間で見られる特有の言語のことを表しています。つまり、さまざまな言語とは、世界にはもともと存在しない言語(コミュニケーションツール)であったのですが、社会空間が成立する過程でつくりあげられた<新たな言語>ということになります。今回の命題である「天才は新たな言語をつくり出す」という現象とは、天才たちが社会空間において、社会の意思にそって新たにつくり出す言語を検証するということになります。さて、この新たな言語ですが、一体どうしてこのような言語が必要になるのでしょうか。言語の必要性を明らかにするためには言語の本質を知っておく必要があります。言語とはコミュニケーションの道具であり<対話>を重ねていくことで、次第に意味を持つようになります。こうして言語が生まれてくるわけですが、社会空間という都合上、どうしてもそこには権威的な意味合いをもつようになってきます。権威的な言語をバフチンは次のように定義しています。

「権威的な言葉(宗教や政治、父や教師)は、階層的秩序過去と不即不離の関係にあり、過去においてすでに承認されている。それはあらかじめ見いだされる言葉であって、わたしたちが新たに介入される余地は残されていない」

とあるように、権威的な言語にはその言葉を発するだけで、正しいのだという考える余地が少しも残されていないというのです。つまり、権威的な言語で作り出される社会空間では対話において思考の成立しない、モノローグ的(受動)な、機械的な社会が成立してしまうことを意味しているのです。この状況はあまり喜ばしい状況ではないことは理解できるでしょう。そこでは社会的強者のみが権威的言語を発し、その言葉をきいた社会的弱者はただただ虐げられるしかない社会が成立してしまうのです。かつてのソ連社会主義国家ではこのような状況に陥っていました。警察という超巨大企業がロシアを支配し、警察のすることは何でも許されるような悲惨な状況に陥るのです。しかし、それでは国民は人間性を無視されていると言わざるを得ません。そうした状況では必ず、国民の不満が募り、やがては革命が起こります。そこに天才が現れるのです。天才は権威的な言語で支配された社会を変革すべく、新たな言語、全く権威性のない言語をつくり出します。初めは何の意味も持たない言語ですが、対話を重ねていく内に、やはり意味を持つようになります。その数が増えれば増えるほど、新たな言語は真理性を帯びてきます。そして新たな言語が遂には<真理>と社会空間で認識されたとき、一つの権威を持った言語として機能をし、革命運動の基礎となるのです。

実は日本でもこうした動きがあることをご存知でしょうか。坂口恭平という人物がいるのですが、彼は熊本にいるもう一人の内閣総理大臣です。日本にはホームレスや自殺者を守るはずの「最低限の生活を保証する」という憲法が全く機能していないことに気づき、日本は無政府状態であると言いました。そして、日本の政治もやはり権威的な言語を扱い、言語によって私たち国民を支配しています。最近の日本を見れば一目瞭然ですが、国民の不満は大いに高まっています。つまり、以前のソ連と同様に、細かい社会情勢までもが同様とは言いませんが、確かに国民の不満は募り、反対運動が行われているのです(皮肉にも、そうした状況でこそ文化は花開くのですが...)。坂口恭平さんは、そんな社会空間の中で、<態度経済><レイヤー社会><独立国家>など、新たな言語をどんどん作り出しています。そして、彼は多くの人と出会い、対話を繰り返し、一つの真理へと進もうとしています。まだ彼の革命は始まりさへしていないとは思いますが、天才研究家として決して目を離すことのできない人物であることは疑いもありません。