Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

バリアー展開、危機に備えよ! バリアー人間が考えていること、することの意味について。

時々、なんだか近寄りがたい人に出会うことがあります。「人を見た目で判断してはいけない」というけれど、それでも異様な雰囲気を纏っているあの人。話しかけることさへもなんだか「危うい」と感じてしまう。コレって一体どうしてなんでしょう?ぼくはそんな近寄りがたい人たちのことをバリアーを展開しているのではないかと考えています。なぜなら、ぼく自身、日常生活をしている中で「なんだか近寄りがたい人」と言われることがあるからなのです。それもそのはず、ぼくは常に、自分の周りには人に見えない透明なバリアーを展開していました。そうすることで、余計な関わりからの接触を避けたり、自分だけの空間に安心して閉じこもることができました。確かに、ぼくには友達と呼べるような信頼できる友達は少ないし、誰かと一緒に出かけて、楽しい休日を過ごすような経験は全然ありません。それでもぼくには、デメリットをものともしないだけの面白さを、バリアー展開に見出していました。バリアー展開することで、得られる効果がいくつかあります。それは、「空気が楽であること」「人それぞれには独自の空間があること」「孤独な時間を持てること」です。

 

 

バリアーはその名の通り、防衛システムの役割を果たします。透明な球状に広がるバリアーを自分を中心として展開することにより、人を寄せ付けず、周りの空気に流されない、自分だけが全ての完璧な空間を独り占めにすることができてしまうのです。さらに、事態はそれだけに収まりません。なんと、バリアーを展開する生活を続けていると、人それぞれにはバリアーというほど綺麗なものではないのですが、なんだか独自の空間を形成していることに気がつきます。そして、その空間はいくつも存在していて、さらには世界全体を覆う球状のバリアー的な何かを発見することができるのです。これはバリアー展開における最大の効果であると言い切ることができます。なぜなら、ぼくたちは一つの空間の中で、それだけが真実の世界で生活しているわけではなく、真実というものは数あるうちの空間の一つなんだと理解することができるからです。それは、この生きづらい世の中で、呼吸し続ける苦しさを紛らわしてくれます。周りのことをいちいち気にせず、好き勝手に、自由に生きることに対して、何の気負いも責任も間違いもありえないことが、まるで直観のように閃きと感動によって、理解できてしまうのです。バリアーはすべてを拒絶しているようで、実はすべてを許容するための最善の方法だったわけです。最後に、バリアー展開の効果として、孤独の時間を意識できるようになります。ヨガや座禅も同じように、バリアーを展開することで孤独の空間を形成していて、内的対話を行うための環境づくりをしているのです。内的対話とは、内なる自分との対話のことで、それはある意味では神さまとの対話とも呼ばれます。もうひとりの自分はすべてを、こっそりとみているので、そんな人物と対話を重ねて、言語的交通を繰り返すことにより、新しい意識空間が生まれ、それは自分だけの空間で通用する真実となるのです。つまり、バリアーを展開することによって、ゆくゆくは真実をつくり出すことも可能になってしまうわけです。

 

これは、ありえないことのように思われるかもしれませんが、そうではありません。今まで時代に名を残してきた天才たちは、みなバリアーを展開して、孤独の時間をつくり出し、独自の言語、自分だけに通用する真実をつくり、その絶大なる効果を世界中の人々に伝えてきたのです。アインシュタインは常に、相対性理論のことだけを考えていました。研究中に邪魔が入ると、決まって怒鳴り散らし、軽快なユーモア、といってもかなり悪質な罵倒をののしり、バリアーを展開していました。Appleの創業者であるジョブズAmazonの創業者であるベゾスにしたって、同じように絶対に誰にも邪魔されないための、孤独な空間を形成していたのです。そうすることによって彼らは、ぼくらの時代にまたしても、新しい不変の事実をつくり出したのでした。