Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

これからの学者はマニアを自覚して、感情を表現しよう。

学者ってなんだか硬い印象があるよね。

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ちびまる子ちゃんの映画でありながら、湯浅政明監督によってカルト的要素が散りばめられた作品。イエローサブマリンに大きな影響を受けていることが、作品から伺われる。

 

マニアを自覚することについて

学者はよく「専門家」と呼ばれます。でもそれっなんだか「硬い印象」を抱いてしまわないでしょうか?科学者、社会学者、哲学者。正直な話「学者」という言葉を聞いただけで、「面倒くさいな」という印象を抱いてしまいます。

「学者」みたいな硬い人間は今、少しも求められていません。成熟した社会では、不安という疑問を抱くことはナンセンス、それはみんながみんな人生を謳歌することを望んでいるから。そんな時代に学者は「マニア」であることが求められています。

マニアは学者と少し意味合いが違います。学者は「硬い人間」ですが、マニアは「おかしな人間」です。少し歴史を振り返ってみると、マニアの語源はギリシャ語のような古典にまで遡り、その特徴として、次のような定義がされています。 

  1. 普段から自己の得意とする専門分野に没頭する生活習慣を持つ人物。特定の事柄ばかりに熱狂的な情熱を注ぐ者や、その様子を称して言う。((コトバンク))
  2. 狂気のことであり、自身の趣味の対象において、周囲の目をも気にしないようなところもある事から、「〜狂」と訳され、ほぼ同義のものとされる。((ギリシャ))
  3. 熱狂、熱狂の対象あるいは精神疾患の1つである躁うつ病の「躁状態」を意味する。((アメリカ))

辞書に描かれているようにマニアとは、ある特定の分野に対して狂気を含むほどの生活習慣を持つ人物を指していて、その奇怪な行動に対して定義がされています。マニアを自覚することは、専門分野を極めるという点では共通していますが、生活習慣を表現する点において異なる特徴があります。

スティーブ・ジョブズが登場して以来、イノベーションを望んでいる社会は、「普通な人間」よりも「おかしな人間」を求めています。これからの学者はマニアを自覚して、自称マニアを叫ぶ必要があるのです。


ただのおかしな人間は怖がられてしまう

学者がマニアを自覚することは、これからの時代とても重要なことです。ですが、注意点もあります。それは本当に純粋におかしな人間は、恐怖の対象となってしまう点です。

これはいつの時代でも変わりません。社会常識に乗っかる必要はありませんが、社会常識(教養とも言います)を知らない人間は、社会から拒否反応を受けてしまいますし、社会に対して問題の解決を図ることもないでしょう。ジーニアスは社会の産物なので、教養を持たない人間はただのおかしな人間として受け止められてしまいます。

自覚した上での社会に対するおかしな行動は、クラウン(クラウンとは道化のこと、過去の記事参照)としての意義を果たすので、推奨すべき行動ですが、自覚のないおかしな行動は、これから先どの時代においても求められていませんので注意しましょう。

 

おわりに

ちなみにぼくのマニアは、ジーニアスやカルト作品(アニメ、映画、音楽、漫画、ゲームなど)、デジタルデバイス、雑貨、ライフハック、インダストリアル。Feedlyで登録されているのは、だいたいこんなジャンルですね。