Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

ピエロを演じなければ、ジーニアスにはなれない。

世界をピエロみたくあざ笑うことができるか。

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↑道化という存在をはるかに超えたスタンチクは、その溢れる知性と政治哲学によって周囲の人々に尊敬の念を抱かせていた。

 

ピエロのようにあざ笑い続けること

ジーニアスたちには数多くの物語やエピソードがありますけれど、それは根本的に「ピエロ」を演じているにすぎません。ピエロと聞くと、よく遊園地で見かけるような口の裂けている赤髪の置物を思い出すことでしょう。

ふつう、ピエロとは狂気じみた存在として、恐怖の対象であるホラー映画などで登場しますが、ロシアの言語哲学者ミハエル・バフチンによりますと、ピエロは小説において最も古くから登場する人物像であり、権威を持つ存在を混乱に陥れる、極めて重要な存在として描かれている、と言います。

高尚な言語や名称を暴露的に歪曲しおきかえることでを、無理解でもって動機づけるために、愚者の仮面をつけた悪漢である。((道化について))

ピエロの存在意義は、ジーニアスの存在意義と同一であると考えられます。なぜならジーニアスとは、社会という権威に対して、新たな価値観を贈与する人物であるからです。新たな価値観を贈与する際に、社会空間は今までにない概念であると捉え、異常である新概念を拒絶、あるいは排除しようとします。

それは社会が形成された理由が、安定にあるからであり、進歩ではないからです。社会空間では、ジーニアスの存在は「ヒーロー」ではなく「ピエロ」から始まるのです。そうしてジーニアスの贈与する新概念は、ある高尚な言語、つまり既成概念を歪曲し、新たな概念としておきかえられます。新たな概念は社会にとって狂気として受け止められますが、その概念に対話の繰り返しによる真理性が付与された時に、「ピエロ」は「ヒーロー」へと変貌をします。

 

ピエロの話には価値はないけれど、いずれは価値を持つようになる

ピエロの特徴として、最も顕著である現象は「おしゃべりなこと」でしょう。ピエロの話は、ほとんどの場合、「無価値」として受け止められます。実際にピエロの発言は意味をなさないことがほとんどです。

しかし、小説中ではピエロの発言に気を取られた主人公が、その発現に対して何度も対話を重ねることで真理性を帯び、世界を変えていく物語は数多く見受けられます。つまり、ピエロの存在意義は思考の誘発であり、新たな概念を成立する際になくてはならない存在なのです。以上の理由から、ジーニアスであるためには、社会に対してピエロのような立ち振る舞いをする必要がある、と考えられます。

 

おわりに

ピエロは「ジェスター」や「クラウン」と呼ばれることもあるらしい。クラウンは日本語で「冠」と訳され、ギリシャ語では「一番優れていること」と訳される。ジーニアスがピエロであることに、さらなる確信を抱かざるをえない。