Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

100年の常識と100000年の常識、どちらを選びますか?

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ぼくたち人類が、チンパンジーやボノボの祖先と別れて、なんと約700万年近く経ちました。これはすごいことです。そして、原人が誕生して、約50万年。旧人が誕生して、30万年。新人が誕生して、20万年経ちました。

 

これだけでもぼくたちには、創造もできない時間が経っています。その後に、ぼくたち現代人が誕生しました。現代人の誕生は10万年前です。

 

それからぼくたちは、1日に20キロメートルの距離を歩き続けます。それは、気候や環境の変化による、食料不足を補うためにです。ぼくたちは、とにかく歩いて歩いて、生活してきました。

 

そして10万年前にアフリカを出発して、1万年前には地球の裏側、アルゼンチンに到達しました。それはもう、苦難の連続です。ぼくたちは、地図も航海術もなしに、海を渡りました。

 

そこでさらに、新たな捕食者や病気にかかり、飢餓に飢えながら、医学もなしに、子供を育て、ぼくたちは生きつづけました。そして、ぼくたちは、世界を制覇した後に、文化を広げ、今や、パソコンでどこにいても、世界中の人と、つながることができます。

 

そして、ぼくたちは、ピタッと歩くのを止めました。冒険をするのも止めました。身の危険に出会うのもかなりなくなりました。じゃあ、後は何が残っているだろう。それは、考えることです。

 

しかし、考えることも、近い将来なくなるかもしれないのです。人工知能やパソコン、マスメディア、たくさんの情報媒体に囲まれて、機械によって、ぼくたちが、使われる時代が来ようとしています。

 

ここまできても、ぼくたちは、進化しているといえるのだろうか。 ぼくは、そうは思わない。

 

 

歩いて、冒険して、身の危険を感じて、

 

そして、考えて生きることが、

 

ぼくたち、人類なのです。

 

現代は、歩く所も、冒険する所も、身の危険を感じる所も、なかなかないように見えます。でも、それは、ぼくたちが、社会の制約の中で生活しているからなのです。今すぐ、大学も、会社も、辞めてみたことを、創造してみよう。

 

そこには、いくらでも、歩く所、冒険する所、身の危険を感じる所、そして、考える所が待ち受けています。でも、そんなことは、バカな人のすることだと思いますか?それは、違います。

 

ぼくたち、人類は、10万年もそうして生きてきたのです。たった、100年の常識と、100000年の常識、どっちが、ぼくたち、人類に適しているのかは、誰にでもわかると思います。

 

そして、ぼくたちが知っている、偉人、天才は、みーんな、100000年の常識を感じて生きています。今ぼくたちは、人類も、常識も、再認識するべき時が間違いなく来ています。

 

あなたは、どうしますか?