Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

才能を見つけるための方程式を、発明しました

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天才であるために、毎日、考えなければならないことがある。それは「自分とは何者なのか」ということだ。自分とは間違いなく自分自身であるわけだけど、何が他人と違うのかとかんがえると、何も違はないんじゃないかと、今でも不安になってくる。

 

どんな問題にも、方程式があり答えを導きだせるように、「自分とは何者なのか」という問題にもある一つの方程式がある。それは「もし明日死ぬとしたら、誰に何を伝えたいのか」というものだ。その回答の視点を「子ども」に合わせて考えてみると、それが自分の存在理由だとわかる。

 

なぜなら、自分にしかないものは、子どもの頃の夢や目標に根ざしているからだ。夢が自分を具体化させて、かたちづくるのだ。子どものころに、誰もがなりたい自分に思いを馳せたことがあるだろう。

 

ぼくにも夢がある。それはトーマス・エジソンのような人のためになるものを発明すること。それからファーブル昆虫記のような虫図鑑をつくること。それがぼく自身であり、生きる理由なんだと、今は実感している。

 

しかし、ぼくたちは子どもじゃない。もう立派な大人なのだ。大人には責任がある。それは、後世のために、何かを残さなければいけないということだ。ぼくには伝えたいことがある。それは天才という発明品を世に送り出すこと、昆虫の面白さを伝えること。でも、誰に伝えたいのか、それを考えると、ぼくの思考は一気に止まってしまうのだ。

 

ぼくは誰に自分の夢や目標を伝えたいのだろうか。両親、兄弟、友達、恋人、天才、凡人。多くの候補があって、とてもじゃないけれど、選びきれない。けれど、この相手を決めることはとても重要なことだ。時間は限られている。その中で、最も有効的で、後世にも伝えていけるような相手を選ぶことが、強いられている。

 

たった一度の人生で、たった一人を選ぶとしたら、ぼくは学ぼうと意志する人を選ぶと思う。有限性という枠の中で考えるのなら、自然な回答だろう。それは子どもたちであり、天才たちである。子どもと天才はイコールなのは、今まで答えてきた通りだ。

 

彼らは純粋に物事を捉えて、夢に思いを馳せ、既成概念を超越する。そんな彼らの純粋な眼差しの中で一生を過ごしたいと思うのは、誰もが思っていることだろう。時間も忘れて、ただ遊ぶことに夢中だったあの頃を、懐かしく、羨ましがらない人はいないと思う。

 

これでぼくの「自分とは何者なのか」という答えが導き出したことになる。ぼくは子どもや天才たちに、天才という発明品を世に送り出し、昆虫の素晴らしさを伝えること。これが僕という存在の定義で、生きる理由なのだ。

 

「自分とは何者なのか」という問題に答えるための、方程式

 

自分とは何者なのか=誰に伝えたいのか+何を伝えたいのか

 


コツは、「もし明日死ぬとしたら」「子どもの頃の夢や目標は」を元に考えること。

 

それでは、また一人でも多くの天才が現れて、世の中を良くしてくれることを祈って、この文章を閉じようと思います……。