Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

受験勉強から鬱になったぼくが、天才発明家と呼ばれるようになるまで

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天才発明家。多くの人にとってこの肩書が魅力的に映るかわからないけれど、今はそう呼ばれている。あまりにオーバー表現ではあるけれど、周りの人から「天才」だと呼ばれるようになったのには、いくつかの衝撃的とも言えるような体験をしてきたからだ!

 

 

現代人として当たり前と言われている「受験勉強」。やる気を失い、生きる目的を失った「鬱期」。じぶんの平凡すぎる能力に才能ある者と比較した時の絶望感。ぼくは何度も何度も、希望を打ち砕かれるような体験をしてきた。ただ今になって振り返ってみると、その体験のどれもがぼくにとってかけがえのない経験だったのだと感じている。

 

 

この記事は自分について振り返ることも含めて、いま現在鬱期である人たちにも役立つかもしれない。ぼくがどうやって鬱期を抜けだして、天才と呼ばれるように至ったのか、できるだけ細かく描いていこうと思う。

 

天才と呼ばれるまで 

 

2012年4月。あまりにも長すぎる義務教育を無事終えることができた(12年間も子ども時代を学校で過ごすなんて!)。大学へは行かなかった。普段から優柔不断で多すぎる大学を選びきれなかったのが原因だ。それに自分にとって学んでみたい学科がなかったこともある。ぼくはその判断に満足していたけれど、親に耳が痛くなるような将来の話をされ、義務教育が終わった後も進学校で勉強を強いられていた。

 

 

進学校には多くの学生?が通っていて、毎日毎日何が面白いのかわからないけれど、机に向かって勉強をしていた。ぼくは昔から勉強の意味が見出せなかった。なぜそんなことを考えていたのかというと、子どものころに一度は聞いたことがあるだろけど、誰かが先生に向かって勉強は何の役に立つんですか?と言っていたからだ。

 

 

ぼくはその意味について何度も考えていたけれど、やっぱりわからなかった。だって社会で生きていく上で、そんな知識はやっぱり役に立たないしただの自慢でしかない。ぼくは自分を外にだすのが苦手で、目立つことを嫌い、ある時は卑しみの念さへ抱いていた。

 

 

そんな気持ちを抱いている人間が受験勉強なんてできるだろうか?ぼくはやっと終わったはずの義務教育が、また悪夢へと塗り替えられ、毎日、退屈でだらだらとした生活を送っていた。しかし、そうやって過ごしていると、時間がどんどん過ぎていく。途中で模試試験が何度もあり、大学への合格ラインを面と向かっててつきつけられ、親にお金を払ってもらっている状況に、だんだんと耐え切れなくなっていた。大金を払っているのに結果は出ず、受験日は日々近づいていく。その悪夢へのエレベーターは非情にも進み続け、ぼくの心を壊していった。

 

 

やがて9月に入り、季節の変わり目ということもあったからだろうか?ぼくはたくさんの期待に押しつぶされてしまい、やがて鬱になってしまっていた。何においてもやる気が出ず、部屋に引きこもるようになった。自分の存在理由がわからなくなり、死んでしまっても誰の迷惑にならないんじゃないだろうか?世界にはたくさんの天才がいるんだから、その人たちにみんな任せてしまえばいい。親が苦労して大金を払わずに済むし、先生もメンツを潰されずにすむ。最高じゃないか!ぼくは死ぬべき人間だったんだ。そう思ったぼくはできるだけ人間でいないようにと努めて、布団を一日とて離すことはなかった。

 

 

そうして1ヶ月たったころ、ぼくは食欲も失せ性欲もなくなり、本当に死んでしまうんじゃないかと思った。ただ天井を見上げる日々が続き、思考さへも止まっていくのが感じられた。ぼくはやっと死ぬんだ。これなら苦しまずに死ねるかもしれない。ぼくが死んでしまえば、誰か悲しむだろうか?親はお金が浮いて生活が楽になる。好きな子もいたけれど、ぼくにそんな目で見られず住んで楽になるだろう。死んだら天国へ行けるかな?あまり悪いことはしてないよね、世界のために死ぬんだから。やがてぼくの思考は「死」だけを描くようになっていった。

 

 

もういいよね。そう諦めかけたとき突然ある出来事がぼくの頭をよぎった。それはとても懐かしい記憶だった。ぼくが初めて「生きるということ」について考えた小学4年生の記憶。担任の先生はカンボジアから帰国してきた先生で、何度もぼくたちぐらいの子どもが死ぬところを目の当たりにしてきたらしい。その体験をなぜだかぼくたちに重ねてはいきなり泣き出していた。何なんだろうこの先生は?死ぬってなんだろう?興味が湧いてきたぼくは、友達に「なんで生きてるんだろうね」と言いふらし「わかるかよそんなの」とみんなに言われた。ぼくは答えがどうしても知りたくなって、天才の伝記本や世界の歴史を読みあさっていった。

 

 

だんだんとその好奇心がエスカレートしたぼくは、授業中に学校を抜け出す計画を立てていた。計画がだいたい決まると、意を決して「お腹が痛いんです、保健室へ行ってもいいですか?」といって、学校から抜け出すことに成功した。ぼくは自由だった。こんなに楽しい気分なのは初めてかもしれない。人間はルールに縛られて生きている。しかし、そのルールを抜けだした時、すごく楽しい気持ちになる。それは体も精神も解放されたからなんじゃないかと思う。人の目を気にする必要もない。したいことを好きなだけできる。ぼくは神さまが初めて登ったと言われている山を一人で登りきり、石だらけの黄泉のせかいのような川の中を泳ぎ、どこへつづくともわからない曲がり道をなんども曲がっていった。もちろん帰ってからは先生や親に怒られたけど、すごく楽しかったことをぼくは思い出していた。

 

 

記憶をたどっている内にぼくは全身がエネルギーで満ちていることに気づいた。もういてもたってもいられない!今すぐ外に出て、子供の頃にしたかったことの続きをしよう!携帯もおきカバンも持たず、後先考えることなく明るく眩しい世界へと飛び出していった。

 

 

まずは自分の町を何時間も散歩していた。怖かった裏町へと進み、大人になった足でできるだけ遠くまで歩いた。山に登り、花を積んで虫を探し、頂上から紙飛行機を飛ばしてみたりした。川では釣り竿を借りて魚をつり、最適なポイントでつるために、石を何段にも重ねて橋をつくった。ぼくは歓びで満ち足りていた。もう何もいらなかった。生きるということの答えを見つけた気がした。

 

 

好きなことをしていると、時を忘れてしまうことはよくあることだ。気づくと夕方になっていて、あたりはぼんやりと暗くなっていった。そこでも街灯にあつまる蛾を見つめて、キレイだなと見とれていた。街灯がある毎に止まっては虫たちをみていると、横には大きな図書館があった。それはいつのまにか新しくできていたところで、もちろんすぐに入っていった。本は昔から好きだったので、また何時間も図書館で時間を過ごしていると、だんだんと手のうちが重くなっていくことに気づいていた。

 

 

さすがに耐え切れなくなったので一度椅子に腰掛け、足を無駄に高く上げながら、大量に積みかさねられた本を呼んでいった。その瞬間、ぼくはあまりにも驚いてしまい、呼吸も体も止まってしまっていた。ぼくは1ヶ月以上も鬱期で、食事もたべず性欲も湧かず、人間として死んでいることと同然だった。そしてまさに死にそうだった。しかし、それでも人は生きる意味を探す生き物らしい。

 

 

ノーベル文学賞を受賞したアルベール・カミュは「人間の奥底では、生きる意味を死に物狂いで知りたがる願望が、激しく鳴り響いている」と言った。
同じく文学賞を受賞したアーネスト・ヘミングウェイは「人間の価値は、絶望的な敗北に直面して、いかに振る舞うかにかかっている」と言った。

 

 

ぼくは絶望的で死と直面している時、図書館で「天才」についての本ばかりを取り出していた。こんなにも身も心も死にそうなときなのに、ぼくの中には「天才」について知りたいという欲求が渦巻いていた。もうぼくの生きる目的は見つかっていた。揺るぎない自身も覚悟もついていた。「天才について研究しよう。そうしてその研究を発表して、世界中の人たちに生きる目的を見つけ出してもらおう!きっと世界は平和になる!自殺者もいなくなるはずだ!いまのぼくのように!」その瞬間、ぼくは天才になっていた。

 

 

それからというもの、ぼくはここ2年間「天才」について研究を重ねている。運命の歯車が動き出し、全ての出来事が運命的のように思えた。もう何も迷うことはなかった。ぼくは世界一幸せで、才能ある人物だと確信していた。人が幸せかどうか判断するのに、とても簡単な方法がある。あなたには生きる目的があるだろうか?世界に必要とされているだろうか?この質問に対して「YES」と間を置くことなくいえたのなら、あたなは幸せな人生を送っていることは間違いない。そして間違いなく天才だということも。

 

 

ぼくはいま天才研究家ではなく、天才発明家と名乗っている。天才とは必ずしも、生まれたときから才能を持っていたとは限らないからだ。天才は生み出すことができる。それがぼくの研究結果であり、ぼくの夢は「天才という発明品を世の中に送り出す」ことだ。

 

 

ぼくにとってのヒーローはトーマス・エジソンで、これからも色んな実験をしていくだろう。どんな姿勢が天才にさせるのか?天才が必ず体験する絶望は科学的に成り立つのか?これから天才は科学的に解明され、誰もが天才と呼ばれる日が近いうちにやってくる。そして世界に平和が訪れる。それはぼくが生まれてきた以上、かならず実現するだろう。

 

 

最後に一つ、今鬱期を体験している人たちにいいたいことがある。もし鬱期を抜けだして、天才になりたいと願うのなら、たった一つのことをしてみてほしい。これはぼくが生み出した天才になるための、発明品の一つです。それは子どもであること。校則を破った時のことを思い描いて、子どものころにした体験の続きをすること。まずは適当なメモに書き出すことから始めよう!そして何かしらに直面する度にWHYと考えてみよう!そしてその原因を考えたら、実際に行動してみよう!

 

 

この一歩を踏み出した時、あなたの人生は天才としての道に分岐し始めます。かつてぼくがそうしたように、多くの天才たちがそうしてきたように。天才との差はたった一歩の違いです。今までそれは当たり前過ぎていて、見つけることはできませんでした。しかしぼくは発見したのです。天才へと進む新たな道筋を!さぁ、前に進みましょう。あなたにとってその道の先は暗く、崖のように見えるかもしれません。しかし、恐れることはありません、その道は先人たちが歩いてきたことは間違いないのですから。いつだって、見知らぬことには人間、恐怖を抱くものなのです。