Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

2015年までにおける「天才の定義」問題

 初めての人は以下の記事も見てね。

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研究を始めるにあたって、一番にしないといけないのは、目的を考えることです。

 

もうすでに、数ある研究りねんの中でも、数本の指に入るくらいの立派な研究りねんではあるのですが、もっと愛されるためには、これだけでは足りないのです。

 

まずは現在までに語られてきた天才の定義を批判しながら、ぼくたちの考える天才の定義を紹介することにしたいと思います。

 

先行研究においての天才に関する問題

 

「天才とはどんな人ですか?」と聞くと、必ず返ってくる言葉があります。それは、才能のある人だと言うのです。確かにそれで間違いないのだろうけど、どうもぼくたちには納得のいかないところがあるんです。

 

だってぼくたち人間は動物です。動物にとっての才能とは、力の強さでしかありません。しかし考えてもみると、ぼくたちの世界では、太った人たちが強いこともあります。これは動物の厳しい弱肉強食の世界では、ありえないことです。

 

それならぼくたち人間にとっての才能とはなんなのだろう?と思い、天才について考え直してみることにしました。彼らは人間界において、地位も名誉ももっているからです。

 

まず言えることが、ぼくたち人間の才能は強さだけではありません。スポーツ選手なんかはそれもあるだろうけれど、アインシュタインエジソンなんかは、それだけぢゃ説明がつきません。彼らなんて、一捻りでやられてしまいます。

 

そこでぼくたちはある一つの仮説を立てました。人間が才能を持ち人間界の上位に立つためには、身体的な強さ以外にも他の何かがあり、その力がいわゆる天才と言われるための別の才能なのではないだろうか?ということです。

 

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そこでぼくたちは、天才たちの人生や生活、考え方から共通点を探し出して、ついに新たな法則を発見しました。それはとてもハッピーで、パワフルでもあり、驚くほどシンプルな法則です。

 

それではお伝えします。天才とは...

 

「愛すべき使命に従って行動している生き物」なのです。

 

愛すべき使命とは、才能のことです。しかしそれは愛せなくてはなりません。使命とは今にも死にそうな時に見え、今までに体験した愛を認識した時、人は感謝し、自らの才能を認めて、世界のために役立とうと行動をするのです。それが天才です。

 

わけがわからないような顔をしていますね。そう思うのも無理はありません。確かに定義だけを聞いたら、意味がわからないでしょう。そんなのは物語のお話だと。ですがこれからお話する3つのストーリーを聞いた時、嘘ではないことをわかってもらえます。じつは愛や使命というのは「理論的なもの」なのです。では、順をおって説明していこうと思います。