Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

きれいな通り道を見つけることにデザインの本質はある。

 きれいなヒトやモノって、感覚的にすっきりしているように感じるよね。

f:id:cid5761:20150919165416p:plain 感覚の通り道

ぼくたちの住む世界には、きれいなヒトやモノがあちこちに点在している。それらは見ているだけで、こっちもなんだかすっきりしてくるし、扱っていてストレスを感じない。その理由はかんたんで、「感覚の通り道」がきれいに整理されているから。

例えば、痩せている人と太っている人では、なぜだか痩せている人の方がすっきりして見える。そのぼんやりとした理由は「通り道」の理論で見るとはっきりする。太っている人は、まず顔や体の輪郭からして不自然極まりない。どこの輪郭もいびつで、お腹はぽっこり出ている。汗は流れっぱなしで臭うし、息も荒い。その巨大な体によって、太っている人の向こう側を見るためには、大きく体をそらさないとよく見えないこともある。

このように、太っている人は、存在自体が自然の人間から大きく離れてしまっているので、すっきりしない。つまり、あらゆる感覚、「視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚」どの点においても自然の流れが消えてしまっているため、なんだか気持ちが悪いと感じてしまう、可哀想といえばかわいそうな人々なのである。

 

 美しさはインフラのシンプルさにある

芸術にしたって「通り道」が評価の分かれ目になってくる。評価される芸術には決まって、きれいなインフラがある。きれいなインフラというのは、渋滞のない通路を指していて、全く新しくて、思考の余地が残されているモノに対して評価される場合が多い。iPhoneはわかりやすくて、もともとデザイン設計が赤ちゃんでも扱える直感的なデバイスを作ることを目標としていた。赤ちゃんでも扱えるということは、それだけ障害が少ないものである必要がある。だからiPhoneのボタンは一つしかないし、自社製のアプリケーションを最高の製品にした。余分な思考をする必要がないため、自分のしたいことに対して、思考する余裕が生まれる。そうした思考通路の渋滞を、極限まで減らしたからこそ、iPhoneは最もイノベーティブな企業になれたわけだ。

 

おわりに

日本の「きれい」は通り道のシンプルさにある。執筆にあたって、どれだけ思考の渋滞をなくして、「きれいなもの」にできるか。それがぼくの課題になりそうだ。まずはわかりにくい文字を減らすことからはじめないと。

 

にほんのきれいのあたりまえー新しいくらし方をデザインする

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