Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

うつに悩む人は汗かく仕事を。

現場で働いている人たちって、うつに悩まないですよね。 

体を動かすことで精神を病まない理由

どうして体を動かすような仕事はうつになりにくいんでしょう。それは行為に潜む権威性が、言語に比べて消化しやすいからだと思うんです。どういうことかというと、行為=労働はいかなる制限を強いられようと、溜まったフラストレーションは、お酒やタバコ、お菓子、やつあたりなど、別の行為によってフラストレーションを消化することができます。

しかし、言語=ハラスメントは制限を強いられると、フラストレーションは消化することなく、だんだんと溜まっていきます。なぜハラスメントの場合は消化することができないのか。それは言語の性質によります。ある程度は労働と同じように、お酒やタバコなどで抑えることができますが、それは消化ではなく、気を紛らわしているだけなのです。

言語には意味が含まれていて、意味を与えられた人は、その理由が理不尽であれば理不尽であるほど、疑問を感じ明らかにしようとします。多くの場合、その意味において答えを明らかにすることはできません。言語とは、自分と相手の対話の中で意味が形成される性質を持っていて、ハラスメントと呼ばれるマイナス思考を帯びている言語はプラス思考に変わることは、忘れるほかないのです。つまり時間が解決してくれるということです。

ハラスメントにおける意味は、対話を重ねれば重ねるほど、その意味において真理性を帯びてきます。そしてハラスメント言語に真理性が伴った時、人は精神が虚ろになり、その精神を癒すためには引きこもるほかなくなってしまうのです。

 

考えることが苦手な人はわずかな労働をして暮らすべき

実はハラスメント言語に耐性のある人は、天才の素質を持っています。ここでは権威的言語と言い換えますが、権威に押しつぶされ引きこもると、外的対話から離れて内的対話を行うようになります。

内定対話とは、内なる自我との対話であり、究極的には神との対話とも呼ばれています。そして、私と自我との対話を重ねる中で、権威に対して怒りという感情が芽生え、権威に刃向かおうとします。「なぜあんな言葉に強制されなければならないんだ。そうじゃなくて、こうすべきだ」と新たな言語をつくり出すのです。つまり、権威的言語によってマイナス思考に陥ったとしても、一般に時間が解決する前に、新たな場を作ることによって答えを自分の中で作り出そうとするわけです。

もし天才のように権威に対して、刃向かおうとする勇気や思考をもてるのであれば、そうした環境の中で働くことは、社会を良くするためにもとても価値あることだと思います。しかし、思考をすることが苦手で権威に対して、屈してしまうのなら無理をする必要はありません。そうした人たちは自殺をしてしまう前に、環境から身を引き、わずかな労働、これからは農業がいいかもしれません。そんな労働に身を置くべきだとぼくは考えています。清貧を愛し、恵まれた環境よりも、過ごしやすい環境に身を置くことが、彼らの幸福につながるのではないでしょうか。

 

アインシュタインとピカソ―二人の天才は時間と空間をどうとらえたのか

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