Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

後悔しないために、ただ貪欲に求めよう

 

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世の中には力を求める人たちがいる。ただ人より強くあろうとする人。
権力という名誉の力を求める人。お金を得て、大きな家や人を操ろ うとする 人。
この世の中には力が溢れている。いったい力とは何だろう?人の上に立つための力。
それとも、人を助けるための力。どっちかが正解なんてことはない。
正解なん てものはこの世の中には存在しないからだ。
 
た だひとつわかることがある。それは「力を求めるものは力に没する」ということだ。
力を求めるものは、より高みへと登ろうとする。高く、より高く上へいくほ ど、
人はその力以外になにも信じることができなくなり、やがては力によって滅びる。
そんな力を求めるものにも、ひとつの疑問が浮かび上がる。それは紛れも ない「死」という問題だ。
 
「死」 は生き物であるかぎり、誰も逃れることのできない運命だ。
運命は変えられない。どんな選択をしようとも、道の上に止まっていようと、
一度でも運命の歯車の 上に立ったものは、ネジを崩し、その歯車を崩壊させない限り、
永遠に死ぬまでその使命を全うしなければならない。
むろん、力を求めるものは、それ自体が運 命なのだから。
 
力 を求めるものが死を考えるとき、やはり力を求めているのである。
力を求めているものは、自分の死を定めるとき、力のあるものに敗れたいと思うのは当然のこ とで、
安らかに死のうなどとは思わない。思っていたとしても、
結局は運命に従って生きたものとして、力に敗れることを心は望んでいる。
 
そ れで後悔することはない。この世界には正解なんてないのだから、
後悔しない人生を歩んだものが世界の勝者だ。
正解も勝ち負けもないけれど、もし死ぬ寸前に 後悔しなければ、そのときにどんなことを思うだろうか。
それはきっと幸福だと思う。世の中を幸福にすることなんてできはしない。
だって意識は自分にしかな いのだから。
 
天 国と地獄というものがある。
天国に行けるものはわずかであり、その他のほとんどのものが地獄へ行く。
なぜなら、ほとんどの人間は99%後悔して死んでいく から。
後悔せずして死ねるものはほとんどいない。
そんな人間はもし明日死んでもいいと思っている人間だ。
やはりそれが天才なのだと思う。
 
死ぬ寸前に後悔して死んでいったことを考えて見る。
それはきっと絶望で溢れていると思う。
いつも人間というのは一瞬一瞬のことまでしか知覚していない。
だから、死ぬ寸前に後悔したのなら、それが自分の人生なのだ。
後悔した人間はきっと地獄に行くだろう。
 
幸 福になるための唯一の方法は天才になることだ。
天才になることは苦しい人生を歩むことになるけれど、
最後はきっと後悔することなく、死んで、天国へ行ける と思う。
ぼくは地獄に行きたくない。だから天才になる。
死んでからしたいことをすればいい。それまでは使命を全うする。
それがぼくのこの世界に生まれてき た責任なのだから。
 
エジソンは「死んでから、いっぱい寝てやる」と言った。
彼がこの世界に生きていたときの睡眠時間はたったの四時間だった。
彼はきっとい まごろ天国で好きなだけ寝ているんじゃないか、と思うのです。