Nowhere Man's Side

何者でもない人達へ

マントラを唱えることに意味はないけれど、効力はあります

あらゆる宗教にはマントラという無の言葉を唱えるという修行があります。しかし、その言葉を唱えることで成功したり、幸福になったりすることは ありません。もし、そんな言葉で急に仕事が上手くいっただとか、好きな人と付き合えただとか言っているのはただの幻想にすぎないのです。

 

マ ントラには数多くの言葉があるのですが、有名なのは、「オーン・ナーム・スヴァーハー」「南無妙法蓮華経」といった言葉です。それぞれ短い言葉の文節で区 切られていて、それを1000回毎日唱えたりするわけです。そうすることで、世界は自分の思い通りになると聖者たちは言います。

 

で すが、もちろん。そんなことはありません。ただの言葉を言うだけでは何の効力もありません。それはただの言葉であって、何の意味もない音にすぎないからで す。それでも、聖者たちはマントラを唱えることを命じ続けます。マントラには唱え方というものがやはりあります。その方法を紹介しようと思います。

 

マントラは言葉を再認識する

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マ ントラは短い言葉の文節で区切られています。何故なら言葉とは、本来何の意味ももたない音だからです。あなたの先に1羽のカラスがいます。しかし、そのカ ラスは日本ではカラスと言うのですが、アメリカではCROWです。この違いをみれば一目瞭然なことですが、住む場所によって言葉の形はいくらでも変化しま す。意味合いも違ってきます。言葉は不確定な存在に恐怖しないために、取り敢えず言葉として確定するための、その場しのぎのものでしかないのです。

 

マ ントラは言葉という意味の無さを再認識するための方法でもあります。あなたがもしマントラを唱えるとき、言葉のしがらみに囚われてはいけません。言葉はあ くまでただの音であるということを認識する必要があります。世界は存在しています。ただ存在しています。それぞれに本来、名前はありません。もし言葉の束 縛から放たれたとき、自由になれるのは間違いありません。ヒマラヤ聖者たちが言っているのはそういうことなのです。

 

マントラは生命の流れをあらわしている

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マ ントラの言葉を限定すると、「オーン・ナーム・スヴァーハー」というものがあります。この音の文節をそれぞれ訳していくと、「オーン」とはエゴを表してい ます。「オーン」と唱えるときに人が考えることは、世界への不満です。「どうして私はこんなにも苦しんでいるのに、何の祝福もないのだろう」「私は世界で 一番不幸な存在だ。誰がこんな私を産んだのだろう」「生きることに疲れたけれど、死にたくはない」ぼくたちは、毎日この世界に不満を垂らし、自分の力の無 さに嘆いています。「オーン」とは世界は不満と嘆きで溢れていることを再認識します。

 

「ナー ム」とは祝福を表しています。「ナーム」と唱えるときに人が考えることは、世界への祈りです。「なんて世界は素晴らしいのだろう、私を産んでくれてありが とう」「今日もしたいことをすることができた。私を生かしてくれた、太陽に植物に感謝しよう」ぼくたちは不満を垂らし、嘆くと同時に、この世界にも感謝す ることがあります。「ナーム」とは世界には祝福も存在していることを再認識します。

 

「ス ヴァーハー」とは無を表しています。「スヴァーハー」と唱えるときに人が考えることは、無への解放です。「苦しみも喜びもあるのが、世界なんだ」ぼくたち は色んなことを考えるのですが、結局、いざ死のうとするとき、多くの感情が蘇ってきます。そんなとき思い出すのが、悲しい思い出と、楽しい思い出です。し かし、ヒマラヤというは、それらの思い出も捨て去り、今を生きるという喜びを、再認識するのです。

 

マントラは呼吸を整える

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マ ントラは呼吸が大切だと言います。まずは腹式呼吸です。下腹部を意識して、そこが膨らんだり、凹んだりするように呼吸を整えます。さらに時間も大切です。 息を吸い込むのに5秒かけ、息を吐くのに5秒かけます。あらゆる記憶を5秒で思い出して、それらの記憶を5秒かけて忘れていくのです。

 

下腹部には人間の腸が存在します。腹式呼吸は腸の体調を整え、正常にします。腸は人間の第二の脳です。腸を整えることで、セロトニンが体内で発生します。セロトニンが増えていくと、だんだんと意識が落ち着いてきて、ストレスがなくなり、正常な判断ができるようになります。

 

マ ントラは唱えるだけでは効力がありません。聖者たちは誰もが自分たちのようになれる方法を考えたのでしょうが、多くの人たちは、結果を求めています。目に 見えてその力が発揮されないと、人間じゃないだとか、ただのスピリチュアルだとか言って、世の中から排除しようとします。しかし、それではいつまでたって も、心の意識には到達しません。

 

ヒマラヤ聖者は内なる存在を求める意味について言っています。

 

” 存在しないものを信じることに心、エネルギー、持てる力をそそぎ続ければ、存在するかのように見える。それがマーヤーだ。邪悪、罪悪、マーヤーについてあ れこれ考えるな。それが自らのストレスと不安にさらす。霊性の道を歩む人でさへ、この世が進歩に欠けるという不平不満にとりつかれる。真摯、正直、誠実に 欠ければ、真の自分を悟ることはない。自分の弱さを投影しては、この世の対象が自分に障害を生じていると考える”

 

” 執着より生じる束縛が強まれば、強まるほど、人は弱く、無知で、絶対真理に気づかなくなる。マーヤー、幻想は、執着に深く根ざす。執着して何かを欲すれ ば、それが幻想の源となる。執着をのがれ、欲望の数々を霊性的成長に向ける人は、マーヤーの束縛から自由となる。執着が弱まれば弱まるほど、内なる強さが 増す。内なる強さが増せば増すほど、目標に近づく。無執着と絶対真理へのたゆまぬ意識は、限りある生命から不死の極みへと舞い上がる二つの翼だ。この翼を マーヤーという幻想に刈りとられずにいた者は、成就に至る”

 

マントラは世の中から「執着」を取り除く方法です。もし、あなたが何かを達成したいと望んでいるのなら、世の中への執着を取り除く必要があります。マントラはあなたの誠実な願いを達成させるための、修行だったわけです。